生ける神と共に | エフェソの信徒への手紙 5章

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エフェソの信徒への手紙 5章

すべてみだらな者、汚れた者、また貪欲な者、つまり、偶像礼拝者は、キリストと神との国を受け継ぐことはできません。このことをよくわきまえなさい。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 エフェソの信徒への手紙 5章5節

生ける神と共に

盗みの罪は、自分にはあれもこれも足りないと思い込み、隣人が正当に所有しているものをうらやみ、奪い取ろうとする貪欲から始まります。使徒パウロは貪欲について「貪欲な者、つまり、偶像礼拝者」と語り、天の父なる神以外のものを神とする偶像礼拝から貪欲も生じることを示しました。偶像は「死せる神」であり、私たちに何ものをも与えません。「あなたにはそれだけあれば十分」と示してもくれません。そのため偶像礼拝者には満たされるという感覚がなく、貪欲を招いてしまうのです。

だから貪欲、盗みから逃れるには、今も生きて私たち一人一人に愛の心を持って臨んでくださる天の父なる神を知ることです。この生ける神が地上にも支配の御手を伸ばし神の国をもたらしておられます。神は、神に背を向けていた者に働きかけ、一人、また一人と救いの恵みを豊かに注いでくださいます。そして、神の子へと造り変えてくださり、更には神の国を相続させてくださいます。それ故、私たちはこう賛美します。「主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない」(詩23編1節)と。

吉田 崇