神の家族とされている恵み | 申命記 6章

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申命記 6章

聞け、イスラエルよ。我らの神、主は唯一の主である。あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。
今日わたしが命じるこれらの言葉を心に留め、子供たちに繰り返し教え、…これを語り聞かせなさい。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 申命記 6章4節~7節

神の家族とされている恵み

今月は4回の日曜日にわたって、家庭・家族について聖書から考えてみましょう。

聖書は、神と民との関係を、家族が持つ様々なイメージで喩えます。例えば、主はイスラエルを花嫁として見ておられます(エレ2章2節、イザ54章4~8節)。イスラエルの背信は、結婚相手に対する不貞も同然とされています(ホセ1章2節、エレ3章20節)。神は子らに、親がそうするように「身をかがめて食べさせ」(ホセ11章4節)、「衣を作って着せられ」ました(創3章21節)。

家族という枠組みの中で神学が形成されたため、そのことがイスラエルの神観・創造観・倫理観に影響を与えました。その流れで、特に申命記において、社会を一つの家族(兄弟姉妹の共同体)とみなすようになりました。その結果、やもめ、孤児、寄留の民に対する特別な配慮が生じました。旧約聖書が言う「家族」とは、血縁関係だけを指すのではないという点を評価することは大切です。これが実は、信徒たちが世界を見るときの手本になります。つまりそこでは、弱い者や寄留者がもてなしを受け、家族の一員とされるのです。今週このことを改めて思い巡らしましょう。

ステファン ・ファン・デア・ヴァット(神戸改革派神学校)