「主の日」まで耐えながら | マタイによる福音書 13章24-30,36-43節

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マタイによる福音書 13章24-30,36-43節

「人の子は天使たちを遣わし、つまずきとなるものすべてと不法を行う者どもを自分の国から集めさせ、燃え盛る炉の中に投げ込ませるのである。彼らは、そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。そのとき、正しい人々はその父の国で太陽のように輝く。耳のある者は聞きなさい。」日本聖書協会『聖書 新共同訳』 マタイによる福音書 13章41節~43節

「主の日」まで耐えながら

今、世の中に御国が成し遂げられつつあります。しかし、麦と毒麦のたとえのように、世にはなおも御国の子らと悪い者の子らとが共に混じり合いながら生きています。両者が区別されるのは主イエスが再び来られる時、主の日です。ですから、信仰者には、世の中で生きる悪い者の子らに対する忍耐が必要とされます。

また知恵も求められるべきです。信仰者は、この世で悪い者たちが早くいなくなるように求める、といった態度をとるべきではありません。主イエスが収穫される主の日まで、悪に忍耐し、隣人を赦して生きるのです。

キリストの体である教会がこの世の中で完全に支えられるために信仰を固く守りましょう。主の民として生きる兄弟姉妹、一人ひとりが同じ信仰告白の内で生きることができるように助け合いながら歩みましょう。ただ主なる神の教えに従い、信仰に固く立って忍耐し、主の日を待ち望みましょう。

その日が来ると、御国の子らである私たちは悪い者の子らである不法を行う者と明らかに区別されて、「その父の国で太陽のように輝く」のです。「耳のある者は聞きなさい」。

張 在珖(小倉教会)