主が覚えてくださる | レビ記 1-2章

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レビ記 1-2章

アロンの子らである祭司たちのもとに持って行くと、祭司の1人がその中からオリーブ油のかかった上等の小麦粉一つかみと乳香全部を取り、しるしとして祭壇で燃やして煙にする。これが燃やして主にささげる宥めの香りである。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 レビ記 2章2節

主が覚えてくださる

細かな規定の文章が続くため、レビ記で通読を中断してしまいがちです。しかし、レビ記の言葉は今も生きていて、ユダヤ人はこの食物規定を守って生活していますし、バスの中にレビ記の言葉を見かけることもあります。主イエスの贖いの御業の恵みを深く知るためにも、レビ記の理解は欠かせません。ぜひとも読み続けてください。

動物犠牲の記述は、滅多に自分で動物や鳥を捌かない日本人には縁遠いもののように感じられるでしょう。しかし、ユダヤ人にとっては自らの食生活と密接に関係していました。日々の食生活と献げ物は直結しています。

2章の中で3度「しるし」という言葉が出てきます(2、9、16節)。「記念」「覚え」とも訳されます。使徒言行録のコルネリウスはローマ人でしたが、神を信じ、ユダヤの習慣に従って生活していました。そのコルネリウスに「あなたの祈りと施しは、神の前に届き、覚えられた」と天使が語りかけます(10章5節)。レビ記の「しるし」はこの「覚え」と同じ言葉です。立ち上る香りは、私たちの祈りが天に通じ、主に覚えていただくためのものでした。

赤石 純也(伊丹教会)