愛する兄弟として | フィレモンへの手紙

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フィレモンへの手紙

恐らく彼がしばらくあなたのもとから引き離されていたのは、あなたが彼をいつまでも自分のもとに置くためであったかもしれません。その場合、もはや奴隷としてではなく、奴隷以上の者、つまり愛する兄弟としてです。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 フィレモンへの手紙 15章16節

愛する兄弟として

オネシモはフィレモンのもとから逃亡した奴隷でした。当時の法律によれば、奴隷は人間扱いされておらず、主人の所有物でした。主人は逃亡した奴隷を殺しても、罪に問われることはなかったのです。

そのような状況において、パウロは、自分のもとでイエス・キリストを信じたオネシモに、手紙を持たせてフィレモンのもとへと返しました。それは、フィレモンが、オネシモを奴隷以上のもの、主に結ばれた愛する兄弟として受け入れてくれることを信じていたからです。

自分のもとから逃亡した奴隷であるオネシモを、愛する兄弟として受け入れることは、主イエス・キリストの愛をいただかなくてはできないことです。それゆえ、パウロは、主に結ばれた者としての愛に訴えます。主に愛されている者として、主の愛をもって、オネシモを愛する兄弟として受け入れてほしいと記すのです。

あらゆる違いを乗り越える教会の交わりは、主イエス・キリストの愛に基づいて成り立っています。主に愛されている者として、愛をもって互いを受け入れ合いましょう。

山下 正雄(RCJ メディア・ミニストリー)