備えられている主の贖いと慈しみ | 詩編 44編

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詩編 44編

なぜ、御顔を隠しておられるのですか。
我らが貧しく、虐げられていることを
忘れてしまわれたのですか。
我らの魂は塵に伏し
腹は地についたままです。
立ち上がって、我らをお助けください。
我らを贖い、あなたの慈しみを表してください。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 詩編 44編25節~27節

備えられている主の贖いと慈しみ

きょうの詩編は、痛々しい叫びの詩です。詩人は主なる神を信じる伝統の中に生まれました。父祖から、主がどのようにイスラエルを救われたのかを聞いて育ちました。自分たちの力や能力によらず、ただ主の御手がイスラエルに勝利をもたらしてきたことを誇りとしてきたのです。

しかし、苦難が詩人らを襲います。敗戦、略奪、離散、奴隷とされ、嘲りの的となります。彼らは、必死に主に信頼を置き、忠実であろうとしますが、都は廃墟と化し、人びとは蹂躙され、死が眼前にあるのです。悲惨の極みの中で詩人は主に訴えます、「主よ、我らを贖い、あなたの慈しみを表してください」と。主を信じていてもなお苦しめられ、慈しみと憐れみが見えなくなる中で絞り出された信仰の叫び声です。

苦難の中で主の慈しみを見失いそうになったときでも、主は救いを用意してくださっています。詩人は、自分たちを「屠るための羊」(23節)とたとえましたが、その身代わりに、「屠り場に引かれる羊」となってくださったのはイエス・キリストでした。十字架の姿を見るとき、解放と勝利は私たちと共にあるのです。

草野 誠(恵那教会)