植える者と水を注ぐ者とは一つ | コリントの信徒への手紙一 3章

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コリントの信徒への手紙一 3章

植える者と水を注ぐ者とは一つですが、それぞれが働きに応じて自分の報酬を受け取ることになります。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 コリントの信徒への手紙一 3章8節

植える者と水を注ぐ者とは一つ

「うちの牧師、頑張っているんだけど、もう少し○○だったらいいのに」と、心に思うことはないでしょうか。お気持ちはわかりますが、神の国では、牧師もまた人間であり、限りのある存在です。

きょうの聖句は、興味深いことを教えています。聖書は、前任牧師(パウロ)と後任牧師(アポロ)は、二人で「一つ」だと言うのです。一つとは、「一体である」、「一つのチームである」という意味です。これは、二人が全く個別の働きではなく、連続した時間の中で、チームとして働いていることをあらわしています。

このことから、私たちは一人の牧師にすべての働きを求めるべきではないことを知るでしょう。

確かに主は、一人ひとりの牧師にかけがえのない固有の賜物を与えてくださっています。しかし、それは「部分」であって、すべてのものを所有しているわけではありません。牧師も、そして私たち一人ひとりも、体の小さな一部分に過ぎないのです。

それゆえ、主の教会に求められている最も大切なものは、互いに補い合い、助け合って主の宮を営むことでしょう。

山村 貴司(青葉台キリスト教会)