つきあって歩む | コリントの信徒への手紙一 5章

RCJメディアミニストリー「ふくいんのなみ」のトップページへ戻る

コリントの信徒への手紙一 5章

わたしは以前手紙で、みだらな者と交際してはいけないと書きましたが、その意味は、この世のみだらな者…、また、人の物を奪う者や偶像を礼拝する者たちと一切つきあってはならない、ということではありません。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 コリントの信徒への手紙一 5章9節~10節

つきあって歩む

わたしは、前任地で真言宗の住職と交わりを持たせていただいていました。わたしがお寺を訪ねることもあれば、向こうがこちらを訪ねてくださることもありました。 幾度か食事をする中で、〈宗教と街の人びと〉との関係について話し合ったりしました。「宗教が街の人びとから遊離している。どうしたらいいか、来てもらうには。いや、下りて行かなければ」。このような会話でした。

彼らと私たちは、一般的な意味において、その教えが街の人びとのためであり、彼らの救済のためであるという〈共通項〉を持っています。もちろん、私たちの言うキリストにある救済と、彼らが言う救済とはまったく異なるものです。主がこの世に与えてくださった真の救済は、ただお一人、主イエス・キリストのほかにはないからです。

しかし、それでも私たちは共通項を大切にする必要があるのではないかと思います。なぜなら、私たちは、その〈会話の場所〉を整えることなしに、まことの神について証しし、私たちの愛と慈しみの神を証しすることができないからです。

山村 貴司(青葉台キリスト教会)