渇きを癒す水 | ヨハネによる福音書 19章28節

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ヨハネによる福音書 19章28節

この後、イエスは、すべてのことが今や成し遂げられたのを知り、「渇く」と言われた。こうして、聖書の言葉が実現した。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 ヨハネによる福音書 19章28節

渇きを癒す水

主イエスの十字架上での七つの言葉、五つ目に覚えたいのは、「渇く」という言葉です。十字架の上に釘付けされて、耐え難い痛みに悶え苦しむ中から、水を求めているようにも聞こえます。けれどもこの言葉には、単なる身体的な渇き以上の意味が込められているのでありましょう。

十字架刑に処せられる者には、痛みを和らげるぶどう酒が差し出されますが、主イエスはお飲みになりませんでした。主イエスは十字架の苦しみから逃れようとなさいませんでした。私たちの身代わりとして、罪の責め、苦しみ、痛みを、少しも薄めず、弱めず、軽くすることなく、背負ってくださったのです。

主イエスは、「わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る」(4章14節)と語られます。本来は私たちを潤すほど命の水をお持ちのお方です。その主イエスが「渇く」とおっしゃって、私たちが味わったことのないほどの渇きをその身に引き受けられました。そのような十字架の苦しみを担われたのは、私たちの渇きを癒してくださるためなのです。

古澤 純人(徳島教会)