教会が回復されるために | エゼキエル書 45章

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エゼキエル書 45章

あなたは、誤って罪を犯した者、また知らないで罪を犯した者のために、同じようにして神殿を清めねばならない。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 エゼキエル書 45章20節

教会が回復されるために

回復された神殿の幻を見るエゼキエルの眼差しは特に「誤って罪を犯した者、また知らないで罪を犯した者」に注がれます。神殿を「清める」とは、「贖罪のいけにえの血を取って、それを神殿の門柱と祭壇の台となっている段の四隅と、内庭の門柱に」塗ることと定められています。私たちで言えば、十字架の血によって教会の隅々まで清めるということでしょう。

ヘブライ書は、「キリストの血は、わたしたちの良心を死んだ業から清め」ると言います(9章14節)。教会の中にも、誤って罪を犯した者、知らないで罪を犯した者がいるかもしれません。そのとき、その人を裁くという「死んだ業」に傾くことがあるかもしれません。しかし、誤って罪を犯した者、知らないで罪を犯した者が悔い改めるよう招くことこそ、回復された教会の姿です。あなた自身が誤って罪を犯してしまうこともあるでしょう。そのようなとき、「十字架の血に清めぬれば来よ」との御声を聞き取ることが大切です(讃美歌515番)。キリストの血によって私たちの良心が死んだ業から清められ、教会が回復されていきますように。

赤石 純也(伊丹教会)