罪人のかしら | テモテへの手紙一 1章

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テモテへの手紙一 1章

「キリスト・イエスは、罪人を救うために世に来られた」という言葉は真実であり、そのまま受け入れるに値します。わたしは、その罪人の中で最たる者です。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 テモテへの手紙一 1章15節

罪人のかしら

自分の罪深さを語ることは、ほかの人との比較ですることではありません。文字にすると、当然のことを言っているだけのような気がします。けれども、私たちにはおかしなところがありますね。

信仰の世界でも、人間的な、あまりに人間的な競争が生まれます。「わたしは罪人のかしらです」。「この告白は、誰が一番の罪人であるかを競うものじゃない」と、ときどき自分にそう言ってあげる必要があるでしょう。

同時に、積極的なものを汲みとりたいと思います。パウロの告白にならうことは、人との無益な比較から、私たちを自由にします。

パウロのように、キリスト・イエスの前に、ひとりで立つならば。私たちがそうするなら、もう人と優劣を争っている暇などありません。むしろ、自分の胸をたたく者になります。みすぼらしい自分の正しさに、いかにしがみついているか、それでいて、自分の中に確かなものは何もないことを示されて…。

そして、パウロと共に、神の恵みを受けるものにならせていただきます。主イエスにおいて罪人に約束され、注がれる神の愛を。

宇野 元(芦屋伝道所)