義に飢え渇く人々は、幸いである | マタイによる福音書 5章6節

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マタイによる福音書 5章6節

「義に飢え渇く人々は、幸いである、
その人たちは満たされる。」日本聖書協会『聖書 新共同訳』 マタイによる福音書 5章6節

義に飢え渇く人々は、幸いである

「義」とは「正しい、正義」ということですが、ここでは「秩序」と言い換えて理解するとよいでしょう。それも、正しい秩序、神の秩序です。

秩序など面倒だと思うかもしれません。けれども、1キロの重さであれば誰がいつ計っても変わらないという秩序が必要です。あの人には少し増やして1キロ、この人には少し減らして1キロなどとなると、不公平、不正です。

しかし、いつの時代も、そのような不正、無秩序があって、悲しむことが起こっているのではないでしょうか。正しく生きようとしてバカを見て、重荷を負うにしても自分ばかりとつぶやいてしまう。また、私たち自身の内にも、自分の利益を求め、人を虐げてよしとする思いがあって、自分の罪の惨めさに苦しんでしまう。真実には、私たちは神の秩序、神の義に飢え渇いているのではないでしょうか。

時満ちて、神は、御子イエス・キリストの十字架において、ご自身の義を示されました。不思議なことに神の義は、秩序を立てつつ愛をもって赦す義です。幸いなるかな、この義によって満たされる者は。この義によって、神は恵みの秩序を建て上げられます。

望月 信(鈴蘭台教会)