苦しみを受け | マルコによる福音書 15章16-41節

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マルコによる福音書 15章16-41節

3時にイエスは大声で叫ばれた。「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 マルコによる福音書 15章34節

苦しみを受け

使徒信条は、主イエスの誕生から十字架の死へとただちに進みますが、そのご生涯の働きが忘れられているわけではありません。そのご生涯を見渡せば、罪人の世界へと遣わされた救い主の歩みは、そのすべてが苦しみであったことが分かります。「苦しみを受け」は、主イエスの全生涯を物語っています。

人生とはそういうものだろうと思うかもしれません。しかし、主イエスが受けられたのは、罪人の身代わりとして神の怒りと罰を受けるという苦しみでした。それは「神の手にかかり、打たれたから、彼は苦しんでいるのだ」と預言されていたものです(イザ53章4節)。神の御子が父から見捨てられるという肉体的だけでなく精神的な苦しみをも主イエスは受けられたのです。そして、「そのお受けになった傷によって、あなたがたはいやされ」たのです(1ペト2章24節)。

救われた者もまた、信仰ゆえの苦しみを経験することがあります。それは罰ではなく、キリストと同じものとされた恵みにあずかることです。そして、その苦しみを経て、私たちは神の国に入れられるのです。

石原 知弘(東京恩寵教会)