イエスは安息日の主 | マルコによる福音書 2章23節-3章6節

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マルコによる福音書 2章23節-3章6節

「安息日は、人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない。だから、人の子は安息日の主でもある。」日本聖書協会『聖書 新共同訳』 マルコによる福音書 2章27節~28節

イエスは安息日の主

当時、ファリサイ派の人びとはユダヤ教の掟を守ることに熱心でした。そのため、掟を軽んじているように思われた主イエスと弟子たちを見張っていたのです(2章16、18節参照)。彼らは主イエスの弟子たちが安息日に麦の穂を摘んだ行為を非難しました(2章24節)。さらに主イエスをも訴えようと待ち構えて注目していました。

主イエスは、安息日に会堂に入り、手の萎えた人を御覧になって「真ん中に立ちなさい」と言われ、おいやしになりました。これは決して安息日の律法を軽んじておられるのではありません。真ん中に立つとは主イエスの前に立つことであり、神の御前に立つことです。主イエスは、安息日に人は神の御前に立つのであり、そこでこそ人が人として尊ばれ、いやされるのだとお示しくださったのです。真実に、主イエスこそ「安息日の主」であり、神から遣わされたまことの救い主であられます。

安息日は掟に縛られて何かをしない日ではありません。主イエスの御前に立ち、主イエスから慰めと励ましをいただいて、新たな一週へと向かう力が与えられる日なのです。

坂本 紀夫