神の言葉は生きている | 列王記上 22章

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列王記上 22章

イスラエルの王はヨシャファトに言った。「あなたに言ったとおりではありませんか。彼はわたしに幸運ではなく、災いばかり預言するのです。」だがミカヤは続けた。「主の言葉をよく聞きなさい。わたしは主が御座に座し、天の万軍がその左右に立っているのを見ました。」日本聖書協会『聖書 新共同訳』 列王記上 22章18節~19節

神の言葉は生きている

ユダの王ヨシャファトは、イスラエル王のアハブに、アラム人の手からギレアドの町を奪い返すための協力を求められました。ヨシャファトは「主の言葉を求め」ることを提案します(5節)。集められた預言者たちは「主はこう言われる。これをもってアラムを突き、殲滅せよ」と言います(11節)が、ただ一人預言者ミカヤは、「イスラエル人が皆、羊飼いのいない羊のように山々に散っているのをわたしは見ました。主は、『彼らには主人がいない。彼らをそれぞれ自分の家に無事に帰らせよ』と言われました」と言って反対します(17節)。ミカヤは頬を殴られ、獄につながれます。

アハブ王は変装して戦いに臨みます。敵の戦車隊の長たちは、王たちが替え玉だと見破り追跡をやめます。しかし、敵兵の一人が何気なく射た矢がアハブ王にあたり、彼は深手を負ってしまいます。憐れみによって裁きを保留されたアハブ王でしたが、預言者の警告を無視したために戦死しました。主の言葉通り、犬の群れがその血をなめ、遊女たちがそこで身を洗いました。主なる神の裁きの厳しさを覚えさせられます。

中山 仰(田無教会)