神が助けとなってくださる | 詩編 94編

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詩編 94編

主がわたしの助けとなってくださらなければ
わたしの魂は沈黙の中に伏していたでしょう。
「足がよろめく」とわたしが言ったとき
主よ、あなたの慈しみが支えてくれました。
わたしの胸が思い煩いに占められたとき
あなたの慰めが
わたしの魂の楽しみとなりました。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 詩編 94編17節~19節

神が助けとなってくださる

この詩は、基本的に「報復を求める祈り」です。「こんなものがあるなんて」と思われた方もいらっしゃるでしょう。新約聖書の倫理からすると抵抗感が生じますが、こう考えてみると良いのではないかと思います。苦悶しつつもこう祈り、神に委ねることで自ら手出ししないのだ、と。

神に逆らう人たちは傲慢で人の道に反しています。何よりも神をあなどります。「主は見ていない。ヤコブの神は気づくことがない」と。しかし神はおっしゃいます。「耳を植えた方に聞こえないとでもいうのか。目を造った方に見えないとでもいうのか」。

神が何もしていないと思っても、私たちにそう見えるだけの話です。聖書を通して、神がすべてに時を定めておられ、お決めになった時に実行なさることが示されています。これを知ることが「知恵」なのです。

この知恵を持つことは、私たちに慰めを与えます。神は私たちに慈しみと恵みを与える時をもお持ちだからです。それがいつなのかは分かりませんが、神が助けを与えようとする時、まさしくそのことが起こります。

高内 義宣(津島教会)