幸福の追求から神へ | コヘレトの言葉 2章

RCJメディアミニストリー「ふくいんのなみ」のトップページへ戻る

コヘレトの言葉 2章

わたしは顧みた
この手の業、労苦の結果のひとつひとつを。

何をすれば人の子らは幸福になるのか。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 コヘレトの言葉 2章11節、3節

幸福の追求から神へ

コヘレトは、「短い一生の間、何をすれば人の子は幸福になるのか」を見極めようと、あらゆる労苦を惜しみませんでした(3節)。

その結果、多くのものを手に入れることができましたが、そこで、コヘレトに待っていたものは何だったでしょうか。それは「光が闇にまさるように知恵は愚かさにまさる」ということは確認できましたが、同時に、賢者にも愚者にも「同じことが起こる」ということをも、見て取らざるを得ないことでした(13、14節)。

幸福をとことん追求してみた結果は、「一生、人の務めは痛みと悩み。夜も心は休まらない。太陽の下に起こることは何もかもわたしを苦しめる。労苦してきたことのすべてにわたしの心は絶望していった」というありさまでした(18~23節参照)。

そのとき、またしてもコヘレトの口から「神」という言葉が漏れます。「人間にとって最も良いのは、飲み食いし自分の労苦によって魂を満足させること。しかしそれも、わたしの見たところでは神の手からいただくもの」(24節)。「神」こそが、知恵も知識も、そして楽しみをも与えてくださるのだという気付きです。

赤石 純也(伊丹教会)