主に養われている者たちの平安 | 詩編 131編

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詩編 131編

主よ、わたしの心は驕っていません。
わたしの目は高くを見ていません。
大き過ぎることを
わたしの及ばぬ驚くべきことを、追い求めません。
わたしは魂を沈黙させます。
わたしの魂を、幼子のように
母の胸にいる幼子のようにします。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 詩編 131編1節~2節

主に養われている者たちの平安

この詩編の背景にあることは、ある高ぶりへの誘惑です。それは、天にまで届く高い塔を建てることを企てながら、神からその計画を挫かれた人びとのように(創11章)、人間が神の位置に立とうとするときにしばしば起こる、不遜な態度です。

これに対して、「わたしの心は驕っていない」「わたしの目は高くを見ていない」「わたしの及ばぬ、大きすぎること、驚くべきことを、追い求めない」とは、主なる神お一人のみが知り、備え、働いておられるところに、わたしは決して入らない、という謙遜な告白です。

さらに、この告白は、「わたしの魂を沈黙させます」という一つの誓いに至ります。主なる神への深い信頼において、真実で、厳かな誓いがなされるとき、私たちは、「魂」を、ただ、造り主なる神に明け渡します。それは、どのような誘惑や試練、喧騒や不安の中でも、だれからも妨げられることのない、絶対的な平安の中に憩うことです。

「母の胸にいる幼子のように」、今、羊飼いであるキリストのふところの中に、子どもも大人も抱かれています(イザ40章11節参照)。

宮武 輝彦(男山教会)