ダビデとヤコブの祝福を受け継ぐ者 | 詩編 132編

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詩編 132編

主よ、御心に留めてください
ダビデがいかに謙虚にふるまったかを。
彼は主に誓い
ヤコブの勇者である神に願をかけました。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 詩編 132編1節~2節

ダビデとヤコブの祝福を受け継ぐ者

この詩編の冒頭で、「ダビデ」と「ヤコブ」は、神の救いの歴史における「契約」とその「祝福」を指しています。

ここで、ダビデの「謙虚」と訳されている言葉は「辛苦」(口語訳)、「苦しみ」(新改訳)とも訳され、長い間、断続的に卑しめられた姿を言い表しています。

この詩編の作者は、「ダビデはあなたの僕、あなたが油注がれたこの人を決してお見捨てになりませんように」(10節)に照らして考えると、直接、ダビデを知る人だと考えられます。その場合、「ダビデ」とは、偉大な故人を偲ぶというよりも、神が「ダビデ」をどのように苦難の中で導いておられたかを思い起こしているということでしょう。「ヤコブの勇者である神」とは、口語訳では「ヤコブの全能者」です。神は全能の御力をもってヤコブを養い導かれました。その全能の神であり、契約の神である「主」に、ダビデは「誓い」、「願をかけた(誓いを立てた)」と、作者は回顧しているのです。

恵みの契約の仲保者となられたダビデの子イエス・キリストにおいて、教会は、この「ダビデ」と「ヤコブ」の祝福を受け継ぐ者とされています。

宮武 輝彦(男山教会)