神を畏れる生き方 | ネヘミヤ記 5章

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ネヘミヤ記 5章

わたしは言った。「あなたたちの行いはよくない。敵である異邦人に辱められないために、神を畏れて生きるはずではないのか。」日本聖書協会『聖書 新共同訳』 ネヘミヤ記 5章9節

神を畏れる生き方

外部から妨害された城壁再建も、完成に近づいてきました。しかし今度は、建築に携わる民の中から大きな訴えがあがりました。神のために働いてきた彼らは、貧しさの極みの中にありました。しかもその原因は、神のために共に働いている同胞たちが、負債に苦しむ貧しい人びとを気に留めなかったからです。このような無関心は、世の常なのかもしれません。しかしそれが神の民のなかで起こっているところに、問題の根深さがあります。

この状況に対してネヘミヤは、苦しむ同胞を無視していた貴族と役人を非難します。ネヘミヤが問題にしたのは、道徳的な面ではありません。彼らが神を畏れていないことです。城壁は、神を示すために建てられます。いくら立派な城壁を再建しても、城壁のもとで暮らす人びとが神を畏れて生きなければ意味がありません。

ここでネヘミヤは、自らへの負債をすべて帳消しにし、民にも同じ行動を求めました。神の民が、神を畏れるが故に互いに負っている負債を赦しあって生きる。この姿をとおして、私たちの負うべき罪を主イエス・キリストの十字架によって帳消しにしてくださった愛の神が示されていくのです。

三輪 誠(浜松伝道所)