私たちの町にも主が共に | 詩編 48編

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詩編 48編

後の代に語り伝えよ
この神は世々限りなくわたしたちの神
死を越えて、わたしたちを導いて行かれる、と。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 詩編 48編14節~15節

私たちの町にも主が共に

この詩編において通奏低音として機能しているイメージは、神の都シオンとしてのエルサレムで、それは先行する二つの詩編にも見られます。

詩編の作者は、エルサレムの素晴らしさについて、外国の王たちが恐れおののいて逃げ去ってしまうほどで、町の塔や城壁、城郭を巡って見よと誇ります(5~8、13、14節)。

しかし、私たちは知っています。神の都シオンとして賛美されているエルサレムが、実際は外敵によって幾度となく侵略され続けてきた町であり、現在もなお大きな問題を抱えている紛争の場だということを。

この詩編を理解しようとするとき、主イエスの言葉に耳を傾ける必要があります。「エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、自分に遣わされた人々を石で打ち殺す者よ、めん鳥が雛を羽の下に集めるように、わたしはお前の子らを何度集めようとしたことか。だが、お前たちは応じようとしなかった…」(マタ23章37節以下)。重要なのは「霊と真理をもって父を礼拝する」ことであって、特定の場所や建物は本質的な事柄ではないのです(ヨハ4章21節以下)。

エルサレムから遠く離れた私たちの町にも、主は私たちと共におられ、きょうも私たちを導いてくださいます。

【祈り】

主なる神よ、今日という一日、私たちを主と共にある恵みで満たしてください。アーメン。

唐見 敏徳(忠海教会)