神の宝を納める土の器 | コリントの信徒への手紙二 3-4章

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コリントの信徒への手紙二 3-4章

わたしたちは、このような宝を土の器に納めています。この並外れて偉大な力が…わたしたちから出たものでないことが明らかになるために。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 コリントの信徒への手紙二 4章7節

神の宝を納める土の器

いろいろな物語に出てくる宝箱は、きらきらと輝いていて、それでいて頑丈、中に入っている宝物の期待も高まるようなものです。宝物を保管するには、美しく頑丈なものが相応しいのでしょう。

聖書が語る神の宝とは、「福音の光」(4章4節)、「神の栄光」(同6節)、「イエスの命」(同10節)などと言い換えられています。イエス・キリストの福音、慰めは、計り知れない喜びです。どんな宝よりも尊く、決して朽ちない幸いです。

その宝を入れられているのが、私たち「土の器」です。本来なら宝には相応しくない粗末な土の焼き物です。壊れやすく、歪んでいて、見た目もあまり美しくないかもしれません。そのような頑丈、美しいとは言えない私たちを、神はご自身の宝を納める器として選ばれました。

私たちは、表面的な見栄えばかりを求めてしまうこともあります。自らの弱さに落ち込み、人としての限界も痛感します。けれども、欠け多く、ヒビだらけで脆い、私たちの内に神は働かれ、神の宝は輝くのです。私たちは、足りないものを通してキリストの慰めをいただき、この世界に今も生きて働き、やがて永遠の御国を来たらせる神の御業を知るのです。

【祈り】

わたしを、あなたの宝を納めるものとして用いてください。復活の主の栄光が光り輝きますように。

古澤 純人(徳島教会)