「なぜ」と神に叫ぶ信仰 | ヨブ記 1-3章

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ヨブ記 1-3章

なぜ、労苦する者に光を賜り
悩み嘆く者を生かしておかれるのか。(ヨブ3:20)日本聖書協会『聖書 新共同訳』 ヨブ記 3章20節

「なぜ」と神に叫ぶ信仰

神との正しい関係にある義人、ヨブの苦難の物語が始まります。ヨブの苦難は神が彼の信仰の真実さを信じておられるからこそ起こりましたが、ヨブがその理由を知る由もありません。財産と子どもたちを失った上に、ひどい皮膚病にかかったヨブは、それでも唇をもって罪を犯すことはありませんでした。愚かなことを言う妻をたしなめ、どこまでも栄光を神に帰しました。しかしその内心は、引き裂かれるような激しい苦悩と戦っていたのです。

ヨブを見舞いに来た3人の友は、かける言葉も失い、衣を引き裂き、塵を振りまき、ただ7日7晩ヨブと共に地面に座るしかありませんでした。その後にヨブは口を開いたのです。ヨブは自分が生まれた日を呪い、自分の存在自体を根底から否定します。そして死が訪れないことを深く嘆くのです。しかし、ヨブは自ら死を選ぶことはしません。自分自身が神によって生かされていることを信じているからです(20節)。ですから、繰り返されるヨブの「なぜ」は、神に向けられています。

苦難の中でなお「なぜ」と、神に向かって叫ぶ信仰を失わない人は幸いです。その人は何よりも神の答えを待ち望む人であり、その人の叫びを、神は必ず聞いておられるからです。

【祈り】

主よ、苦難の中で「だから神などいない」と諦めるのではなく、「主よ、なぜですか!」と叫ばせてください。

吉田 実(但馬みくに伝道所)