私たちは神の栄誉を語る | イザヤ書 43章

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イザヤ書 43章

わたしはこの民をわたしのために造った。
彼らはわたしの栄誉を語らねばならない。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 イザヤ書 43章21節

私たちは神の栄誉を語る

主なる神は、その昔、イスラエルの人びとをエジプトから救い出し、シナイ山で契約を結んで神の民とされました。神はここで「わたしはあなたを贖う」と、第二の出エジプトとして、バビロン捕囚からの解放を約束されます。その目的は「わたしの栄光のため」でした。

にもかかわらず、民は主を求めることをせず、真実な礼拝をささげませんでした。かえって神を重荷とし、罪と悪を神に被せ、神を自分に仕えさせる生き方をしていたのです。

このような中で、驚くべき言葉が語られます。「わたしは、わたし自身のために、あなたの背きの罪をぬぐい、あなたの罪を思い出さないことにする」(25節)。罪の大きさに従って罰するという正義の法則を適用しないと神は言われます。ここに聖書が語る福音があります。

罪の赦しの福音とは、正義の神にとっては不合理なものです。罪のない神の御子が私たちに代わって罪の刑罰を受けてくださったことを考えるならばよく理解できます。これが神の恵みです。

その目的は、神の栄誉を語る(21節)ことにあります。それゆえ私たちは、きょうも罪の赦しの福音におおわれて、託された使命を御前に果たす歩みを続けるのです。

【祈り】

神よ、キリストにあって、御名の栄光をあらわす民へと、新たに創造してくださり感謝いたします。

漆崎 英之(金沢伝道所)