キリストの弟子となる覚悟 | ルカによる福音書 14章

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ルカによる福音書 14章

「…わたしのもとに来るとしても、父、母、妻、子供、兄弟、姉妹を、更に自分の命であろうとも、これを憎まないなら、わたしの弟子ではありえない。」日本聖書協会『聖書 新共同訳』 ルカによる福音書 14章26節

キリストの弟子となる覚悟

25節から33節までに「わたしの弟子ではありえない」が3回繰り返されています。キリストの弟子にはキリストの弟子らしさが求められるのです。後をついてきた大勢の人に対して、主イエスは弟子とはどのように生きるものであるかを教えます。

キリストの弟子としてまず求められているのは「憎むこと」です。これは自分の命も含まれます。自己否定です。自分の中にある罪を憎み、ひたすら赦しを願うことです。

次に主イエスは塔の建設を引き合いに出して、計算することの大切さを教えます。行き当たりばったり、勢いでなく計画的に歩むのが主の弟子です。信仰があれば大丈夫、という態度ではダメなのです。

最後に主イエスは戦いを例にしながら、弟子として生きるときには冷静な判断が求められていることを明らかにしています。

このように弟子としての歩みは自己を否定し、計画的に行い、冷静沈着であることが求められます。非常に厳しい道です。しかし、それくらいの犠牲を払ったとしても、価値のある生き方なのです。持ち物を一切捨てた(33節)としても惜しくない。持ち物よりもはるかにまさる恵みを主は約束してくださっているのです。

【祈り】

主よ。あなたの道を歩ませてください。ただひたすらに歩ませてください。

小宮山 裕一(網島教会)