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エゼキエル48章
「神の都には」


彼らはイスラエルの子らが迷ったとき、レビ人たちが迷ったように迷うことなく、わたしの務めを守った。…この都の名は、その日から、「主がそこにおられる」と呼ばれる。
(エゼキエル 48章11節、35節)

 水晶のように輝く命の水が中央を流れる、来たるべき神の都の中に、イスラエル十二部族一つひとつのための場所が克明に確実に割り振られて、エゼキエル書は閉じられます。そのように、新しいイスラエルである私たち一人ひとりのために、神の都には克明に確実に場所が割り振られ、確保されています。キリストは言われました。「行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる」(ヨハ14章3節)。

 この神の都に場所を約束されている人を説明する文章は、48章の中に一つしかありません。「彼らはイスラエルの子らが迷ったとき、レビ人たちが迷ったように迷うことなく、わたしの務めを守った」(11節)。44章で示された祭司の務めそのものです。神の民が迷うときでも、迷うことなく主に仕え続けること。迷ってしまうときがあっても、いや、迷ってしまうときにこそ、キリストの御言葉に従うこと。これが万人祭司たる私たちが、主がそこにおられる都にたどりつけるための秘訣です。

赤石 純也(伊丹教会)

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