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詩編11編
「矢ではなく御顔に心を向ける」


「世の秩序が覆っているのに
主に従う人に何ができようか。」
(詩編 11編3節)

 いつの時代も人の世は同じかもしれません。「世の秩序が覆っている」。そのような時、痛感させられることがあります。自分に「何ができようか」。しかし、その自分が「主に従う人」であるならば、何をすべきでしょうか。何も出来ることはないと思われるかもしれません。

 人々は主に従う人に言います。「鳥のように山へ逃れよ」(1節)、と。「見よ、主に逆らう者が弓を張り、弦に矢をつがえ、闇の中から心のまっすぐな人を射ようとしている」(2節)から、と。つまり、矢を逃れるには山に逃れるよりほかないのだ、と。

 詩人は答えます。逃れる必要はありません。神が天から誰も逃れられないまなざしを向け、誰も逃れられない裁きを行ってくださるからです。

 詩人は知っています。主に逆らう者は心のまっすぐな人を射ようとする。しかし、神は、「御顔を心のまっすぐな人に向けてくださる」(7節)。私たちは、自分に向けられた矢に心を向ける必要はありません。自分に向けられた御顔にこそ、まっすぐに心を向けるべきなのです。その時、「主を、わたしは避けどころとしている」という御言葉が、私たちの言葉になります(1節)。

 

 【祈り】

 神様、あなたが私たちの避けどころとなってください。矢ではなく、あなたの御顔にまっすぐに私たちの心を向けさせてください。

尾崎 純(東仙台教会)

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