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詩編22編
「最も深くから高らかに」


わたしの神よ、わたしの神よ
なぜわたしをお見捨てになるのか。
(詩編 22編2節)

 この御言葉を、十字架の上で主イエスは叫ばれました。さらにこの詩には、十字架の下での出来事となった、「主に頼んで救ってもらうがよい」(9節)というあざけりの言葉も、「わたしの着物を分け、衣を取ろうとしてくじを引く」(19節)という事柄も記されています。

 主イエスが受けられた苦しみはどれほどのものだったでしょうか。主イエスは死に至る罰を受けられました。それは、主イエスを救い主と信じるすべての人に代わってのことです。そして、主イエスを信じる人びとは、数えきれないほどいるのです。

 それでは、詩人はどのようにして、数えきれないほどの苦しみから立ち直ることが出来たと記すのでしょうか。詩人はまず、信仰の先人たちが神を信頼し、確かに救われてきたことに目を向けます(5、6節)。現状は耐えがたいものです(7~9節)。しかし、詩人は自らの意識を超えて、さかのぼれる限りさかのぼり、自分の出生は神の業であり(10節)、「母の胎にあるときから、あなたはわたしの神」(11節)と賛美します。

 神に見捨てられたのではないかと思わされる時があります。しかし、その時こそ、私たちが最も深くから高らかに賛美する時なのです。

 

 【祈り】

 救い主なる神様。私たちが、最も深くから高らかに賛美するように導いてください。今までになかったほどの賛美をなさせてください。

尾崎 純(東仙台教会)

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