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ローマ14-16章
「キリストにある自由」


わたしたちは、生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死ぬのです。
(ローマ 14章8節)

 この手紙の宛先であるローマ教会に、立場や見解の違いからいさかいが生じていたようです。しかし、キリストを信じる者たちは、裁き合うのではなくおたがいに認め合い、受け入れ合うことができるはずです。自由そのものである御方、キリストにあって自分に凝り固まり、自分を絶対化する不自由から今や解き放たれているからです。

 「わたしたちは、生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死ぬのです」。これはキリスト者の生の根本にかかわる事柄です。キリストは私たちのために死に、私たちのためによみがえられた。それゆえ私たちの生と死とはもはや私たちのものではなく、キリストのものである。「わたしがわたし自身のものではなく、体も魂も、生きるにも死ぬにも、わたしの真実な救い主イエス・キリストのものである」(ハイデルベルク信仰問答 問一)。この恵みの事実こそが、私たちの生と死における「ただ一つの慰め」である。

 すべての聖徒たちはひとつキリストの体に結合され、キリストの愛と自由に生かされています。生きることは主のため、死ぬことも主のため。この原則こそ、教会の一致のいしずえです。

 

 【祈り】

 私たちの心と言葉と振る舞い、地上のいとなみのいっさいを、どうぞご支配ください。アーメン。

木下 裕也(岐阜加納教会)

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