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レビ7章11-38節、19章5節
「和解の献げ物と感謝の祈りによる食卓」


和解の献げ物を主にささげるときは、それが受け入れられるようにささげなさい。
(レビ 19章5節)

 キリストの十字架と切っても切り離せない「賠償の献げ物」のほかに、私たちの生活に今も生きている感覚は「和解の献げ物」に由来するものです。「和解の献げ物」は羊に限らず、任意の肉でよく、それにパンも添え、それを、ささげた人たち自身が食べるというところに特徴があります。

 それは私たちにとって、キリストがもたらしてくださった神との和解の食事であるということを、ヨハネによる福音書21章が描いています。主イエスが「今とった魚を持って来なさい」と、パンも添えて、主催者として弟子たちに朝の食事をさせてくださった、あの場面です。私たちは自分の労働の成果である食材を主イエスのもとへとたずさえ寄り、それをその食事の主催者である主イエスと共なる食卓でいただきます。罪赦された私たちが、神との和解と感謝として日々いただく食事こそ、実は「和解の献げ物」なのです。

 その和解と感謝をもたらしてくださったキリストをその食卓の主催者・見えざる同席者とするために、私たちが食前には主への感謝の祈りを忘れないことが「和解の献げ物を主にささげるときは、それが受け入れられるようにささげる」ということなのです。

 

 【祈り】

 十字架のあがないによって罪赦され、今や神様と和解させていただき、毎日の食卓を「和解の献げ物」として喜び楽しめる恵みを感謝します。

赤石 純也(伊丹教会)

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