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サムエル下24章
「いつも主の憐れみの中にある」


ダビデはガドに言った。「大変な苦しみだ。主の御手にかかって倒れよう。主の慈悲は大きい。人間の手にはかかりたくない。」
(サムエル下 24章14節)

 ダビデはイスラエルの人口を数える罪を犯しました。命令を受けたヨアブが渋っていることから、これが明確な罪であったことが分かります。ダビデも、後には良心の呵責を覚えるようになります。

 預言者ガドは、ダビデが受けるべき裁きを三つ示して、そこから一つを選ぶようにと告げます。ダビデの答えは賢明でした。「主の御手にかかって倒れよう。主の慈悲は大きい」。神が下された裁きは疫病でした。ダビデは神の裁きに全く委ねました。

 私たちが誤った道を行くとき、神はその誤りを示されます。神に罪を示されるのは辛く悲しいことです。しかし、神の裁きは私たちの救いを目指して行われます。

 神の御手の憐れみ深いことを覚えましょう。どのような裁きであろうと、それは神からの裁きです。敵に追われることでさえ、神が人を用いてなさる神の裁きです。そう思えば、いかなる裁き、いかなる取り扱いも、神からのものです。

 私たちは、いかなる時にも神の憐れみの中にあります。神はキリストにおいて罪を裁かれました。私たちは赦された者として、罪を悔い改めます。神が願っておられるのは、滅ぼすことではなく救うことです。

 

 【祈り】

 父なる御神、日毎に罪を犯してしまいます。あなたの憐れみが裁きの中にもあることを信じさせてください。アーメン

後登 雅博(高蔵寺教会)

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