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ルカ13-14章
「霊的生活とは絶えざる悔い改め」


決してそうではない。言っておくが、あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる。
(ルカ 13章3節)

 コロナ禍もそうですが、人災や天災が起きたとき、世界規模また個人規模で、不測の事態が起きたとき、それを単にたまたま起こった不幸なニュースだと流してしまわずに、むしろそれを自分に関係させ、自分の悔い改めの機会として受け取るようにと、主イエスはおっしゃいました。

 物事を霊的に捉えるということは、論理や理性のいたずらな否定ではありません。それは周りで起こっている事物をよく観察し、その上で自分自身にとっての霊的な問題として捉えて悔い改めることです。疫病を医学的に解釈することは教会の仕事ではありません。旧約聖書の預言者や詩人たちは、疫病を神の怒りの発露として捉えて、その事実に打たれて苦しみました。そのように、私たちは、それを神との関係の中で悔い改めへの問いかけと招きとして、自らの霊的次元における問題として捉えていくのです。

 悔い改めとは希望であり、方向転換をして神に向き直る私たちが、神の光を浴びることができるための命綱です。この神に対しての霊的な方向転換が、それぞれの人生と教会に、このとき本当に起こるなら、それこそが、コロナ禍にさいなまれている私たちに求められている大切なことではないでしょうか。

 

 【祈り】

 新聞やニュースを機会として、私たちを絶えざる悔い改めへと導いて、新しくしてください。

吉岡 契典(板宿教会)

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