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ルカ15-16章
「神の大きな優しさに心を開く」


「すると、父親は言った。『子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。わたしのものは全部お前のものだ。』」
(ルカ 15章31節)

 兄は、弟を赦してしまう父の常識外れの愛をありえないと非難します。しかし父は、わたしの愛は普通ではありえない愛なのだと返します。さらに父は、「わたしはそのありえない愛で、今、お前のことも愛している」と両腕を開いて、兄を招くのです。「わたしは前から、近くにいたお前のことを実は待っていたのだ。まだ遅くはない、さあ」と言って、父は、弟を抱きしめたその腕を、今度はもっと力を込めて、同様に失われていた兄に開きます。

 放蕩息子のたとえ話には結論がありません。父親の両腕は、「さあ来なさい」と兄に向かって開かれたままで、そこで話が終わっています。これはオープンエンドという終わり方です。その意味するところは、父のこの手は今も、この御言葉を読む読者のすべてに向かって開かれたままだということなのです。

 あなたは愛されている。神は今、兄弟姉妹同士や、他の人との比較でではない、あなたそのものを愛してくださっている。神は、「このわたしの愛を信じて、安心して帰ってきなさい。この優しさに、あなたの心を開きなさい」と招かれます。神を知るということは、あなたを包むこの大きな優しさに心を開くことにほかなりません。

 

 【祈り】

 きょうも広げられている神の招きの手を認め、その優しい御手に心と身を委ねて歩めますように。

吉岡 契典(板宿教会)

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