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エレミヤ2-8章
「滅びに向かう世界で見える神の憐れみ」


「そのときですら」と主は言われる。「わたしはお前たちを滅ぼし尽くしはしない。」
(エレミヤ 5章18節)

 神の言葉を授けられたエレミヤは、浅はかな希望ではなく、深い悲しみを味わいます。祭司や預言者を含めて多くの人が、自分のことしか考えられなくなっているからです。

 誰もが神への最初の真心を忘れ、その自覚すらありません。むしろ、「わたしには罪がない」(2章35節)と言って、平気で悪を重ねています。破滅に対しても、大丈夫、平和だ、と言って、簡単に自分を慰めているのです。

 安易な希望では慰められない、誠実に生きようとしている人ほど、失望は深まります。

 この現状を生み出したのは、礼拝と生活が結びつかなくなってしまった人間でした。一方で「主の神殿」と高らかに語り、他方で「外国人、孤児、寡婦」に見向きもしないという無関心(7章1~11節)。「主に立ち帰れ」という神の言葉をまっすぐ聞くことができない生活です。

 そのため、神は「一つの国をお前たちの上に襲いかからせる」(5章15節)と、破滅を予感させる言葉を投げ入れます。しかし、「そのときですら…わたしはお前たちを滅ぼし尽くしはしない」と、この滅びの痛みと、それ以上にその痛みを自らのものとする神の憐れみがここに指し示されています。

 

 【祈り】

 神様。滅ぼされてもおかしくない私たちとこの世界を憐れんでくださり、ありがとうございます。

片岡 継(ワシントン日本人キリスト教会)

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