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エレミヤ40-45章
「どこに行っても与えられる神の守り」


「ただ、あなたの命だけは、どこへ行っても守り、あなたに与える。」
(エレミヤ 45章5節)

 エレミヤの言葉を巻物にまとめたバルクはかつて言いました。「ああ、災いだ。主は、わたしの苦しみに悲しみを加えられた。わたしは疲れ果てて呻き、安らぎを得ない」(45章3節)。

 エレミヤの口から語られる神の言葉を書き留めることは、彼と共にその言葉に生きることでした。それは、神の御心を知るための苦しみであり悲しみでした。語っても聞かれない言葉を書き留めることに何か意味があるのか。苦しみが募ります。

 神はエレミヤを通してバルクに「あなたは自分に何か大きなことを期待しているのか」と問います。自分への期待から自由にするためです。そして神が裁きをくだす「全世界」に期待するのでもなく、ただあなたに対する神の「守り」を見よ、と語ります。それは「どこへ行っても」与えるもの。エレミヤもこの言葉をバルクに取り次ぎながら、聞いていました。

 やがて国は滅びます。残された貧しい民は、それでも神に刃向かい、エジプトの神々に頼ります。エレミヤも洪水のようにエジプトに向かった民と共にいてその地で命を落としたと言われます。神の言葉を受け入れない民と共にいたエレミヤは、かつて自らに語りかけられ、そしてバルクに語った神の守りの証人でした。

 

 【祈り】

 神様。数多くのあなたの証人を与えて、そこにあなたの守りを見ることができます。感謝いたします。

片岡 継(ワシントン日本人キリスト教会)

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