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哀歌3-5章
「神への望みが道を照らし出す」


人の子らを苦しめ悩ますことがあっても
それが御心なのではない。
(哀歌 3章33節)

 「助けを求めて叫びをあげても、わたしの訴えはだれにも届かない」と、哀歌の著者は言います(3章8節)。「助けて」と言うだけでも勇気がいることなのに、その声が無視され、見捨てられた状態です。

 こうした現実に直面して、著者は、「わたしの生きる力は絶えた」と声を絞り出します(3章18節)。しかし、その言葉で終わりませんでした。そのすぐ後で、「ただ主を待ち望もう」と、なお神を求める言葉を出します。

 人の生きる力が絶えたときに、その向こうに見えた神への望み。それは記憶でした。この哀歌の著者は思い出して言います。「苦汁と欠乏の中で貧しくさすらったときのことを、決して忘れず、覚えているからこそ、わたしの魂は沈み込んでいても、再び心を励まし、なお待ち望む。主の慈しみは決して絶えない。主の憐れみは決して尽きない」(3章19~22節)。この欠乏と貧しさの記憶が、神への望みを形作りました。

 もちろん、貧しさそのものは、目的ではありません。それは哀しみ同様、旅の道具であって、神との交わりが目的地です。哀歌は歌います。「わたしたちは自らの道を探し求めて主に立ち帰ろう」(3章40節)。

 私たち一人ひとりに与えられた道には、確かな目的地があります。

 

 【祈り】

 神様。わたしの望みが絶えてしまうとき、あなたへの望みに道があることをおぼえさせてください。

片岡 継(ワシントン日本人キリスト教会)

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