「それは、地面を深く掘り下げ、岩の上に土台を置いて家を建てた人に似ている。」 (ルカ 6章48節) ルカ福音書6章には「平地の説教」と呼ばれる一連の教えが記されています。46~49節はこの説教の締めくくりに当たる場面です。 この説教はだれに対して語られたのでしょうか。イエス・キリストは、目を上げて弟子たちにお語りになりました(20節)。イエス・キリストの周りにはたくさんの群衆がいたでしょうから、弟子たちのみがこの説教を聞いたというわけではないでしょう。しかしながら、弟子たち、つまりキリストに従う人びとを、主のまなざしは捉えていたのです。 いろいろな教えをお語りになられた後、主イエスは弟子たちに問われました。何を土台にして生きるのか。今、語られた教えをあなたの土台にするのか。それとも、他のものを土台にするのか。主イエスの願いは言うまでもありません。神の御言葉、キリストの教えをその土台にせよ、ということです。 イエス・キリストに従う人は固い岩の上に建てられた家のようです。どのような困難があっても、倒れることはありません。傷つき、揺らぐことがあっても、土台から崩れることはないのです。神の教え、聖書を中心とする。そこに、人生の土台があります。一人ひとりがこの土台の上に立つことができますように。 【祈り】 主よ、あなたの御言葉を我が人生の土台とすることができますように。アーメン 小宮山 裕一(網島教会)
ルカ福音書6章には「平地の説教」と呼ばれる一連の教えが記されています。46~49節はこの説教の締めくくりに当たる場面です。
この説教はだれに対して語られたのでしょうか。イエス・キリストは、目を上げて弟子たちにお語りになりました(20節)。イエス・キリストの周りにはたくさんの群衆がいたでしょうから、弟子たちのみがこの説教を聞いたというわけではないでしょう。しかしながら、弟子たち、つまりキリストに従う人びとを、主のまなざしは捉えていたのです。
いろいろな教えをお語りになられた後、主イエスは弟子たちに問われました。何を土台にして生きるのか。今、語られた教えをあなたの土台にするのか。それとも、他のものを土台にするのか。主イエスの願いは言うまでもありません。神の御言葉、キリストの教えをその土台にせよ、ということです。
イエス・キリストに従う人は固い岩の上に建てられた家のようです。どのような困難があっても、倒れることはありません。傷つき、揺らぐことがあっても、土台から崩れることはないのです。神の教え、聖書を中心とする。そこに、人生の土台があります。一人ひとりがこの土台の上に立つことができますように。
【祈り】
主よ、あなたの御言葉を我が人生の土台とすることができますように。アーメン