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箴言8章
「造られた人すべて主を賛えよ」


わたしは巧みな者となり
日々、主を楽しませる者となって
絶えず主の御前で楽を奏し
主の造られたこの地上の人々と共に楽を奏し…
(箴言 8章30節~31節)

 繰り返されている「わたし」とは誰のことなのでしょうか。「わたしは知恵」(12節)と名乗っていますから「わたし」は「知恵」のことだとわかります。

 「山々の基も据えられてはおらず、丘もなかったが、わたしは生み出されていた。大地も野も、地上の最初の塵も、まだ造られていなかった」(25、26節)。創世記は、人間は塵から造られたと言っていますが、その塵すらまだ造られてはいません。しかし、その時すでに存在していたのですから、人間ではありません。

 27節には、天地創造のはじめの時に、「わたしはそこにいた」とも語られています。「そこにいた」というのはただ存在していたということだけではなく、関わっていた、参与していたということを意味しています。

 ここで語られている「わたし」、「知恵」とは、主イエス・キリストのことです。確かに主イエスこそ、神の深き知恵の現れであります。

 知恵は造り主なる神の御前で楽を奏でます。ひとりではありません。「主の造られたこの地上の人々と共に楽を奏し」ます。主の関心は、神の民だけに向けられているのではありません。神に造られたすべての人間に向けられています。およそすべての人が主を知り、賛美に招かれています。

 

 【祈り】

 日々出会う人たちを、神に造られた人間として見出させてください。

橋谷 英徳(関キリスト教会)

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