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イザヤ63章
「私たちの希望は父なる神のみ」


アブラハムがわたしたちを見知らず
イスラエルがわたしたちを認めなくても
主よ、あなたはわたしたちの父です。
(イザヤ 63章16節)

 「そのとき、主の民は思い起こした」と言われています(11節)。神の裁きを経験し、神の怒りを目の当たりにした彼らは、その嘆きの中で、かつてのイスラエルが受けてきた主の憐れみを思い出しました。11節から14節では、主なる神によってエジプトの奴隷から解放されたことが思い起こされています。

 それゆえ、預言者は今の状況に苦しみます(15節)。かつての祖先たちは、主の御業によって救われました。しかし、今、民たちの前には悲惨な現実があり、神の憐れみが失われているかのような状況の中を歩んでいたからです。

 それでも預言者は告白します。「アブラハムがわたしたちを見知らず、イスラエルがわたしたちを認めなくても、主よ、あなたはわたしたちの父です」(16節)。祖先から認められないという状況が起ころうとも、神が自分たちを見捨てたかもしれないという現実の中でも、父である主に呼び掛け続け、神に顔を向ける信仰を持って、神を「わたしたちの父」と告白しています。どのような状況においても、私たちの希望は父なる神にしかありません。

 きょうも、私たちは自分たちの罪を悔い改めつつ、父なる神に向かって顔を上げたいと思います。

 

 【祈り】

 天の父よ、私たちの希望はあなただけです。きょうもあなたに向かって顔を上げさせてください。

高内 信嗣(山田教会)

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