2017年10月19日(木) 全人格的な救い

 皆さんお元気にお過ごしですか。私は茨城県つくば市東、谷田部東中斜め向かい、筑波みことば教会牧師の小堀昇です。朝のお忙しいひととき、少しお耳を傾けていただけませんか。運転中の皆さん、どうぞ今日もセイフティドライブでお出かけください。

 さてイエスは私たちに永遠の命を与えてくださるお方、それだけではなくて、私たちの日々の必要にも深い関心を抱いてくださるお方です。イエスはいつも神の国の福音を語って、罪の悔い改めを迫ったら、もうそれでおしまい、あなたの心が満たされたらそれでいいでしょう。後のご飯のこと、毎日の必要のことは自分で何とかしなさい、そのようには言われませんでした。
 「イエスは目をあげ大勢の群衆がご自分の方へ来るのを見て、フィリポに『この人たちに食べさせるためには、どこでパンを買えばよいだろうか。』ヨハネによる福音書6章5節で、このように言われています。
 イエスは人々の必要に深い関心を抱いておられるのです。キリスト教はご利益宗教ではありません。だから心の問題だけを語っていればそれでいいのです。いいえ、決してそうではありません。

 イエスが与えてくださるのは、私たちのこの肉体をも含めた全人格的な救いなのです。ですから、私たちがイエスを信じるときに、イエスが私たちの必要を満たしてくださる。そのこともまた、真実なことなのです。イエス・キリストを信じれば罪がゆるされ、魂が救われ、永遠の命が与えられる。しかし、それだけではありません。

 私たちがイエスを信じるときに、生きる意味を見出し、なぜ生きているのか、いや生かされているのか、生きる意味が与えられ、働くことの意味、勉強することの意味が与えられ、今この地上で信仰を持って生きていく、何のために自分は生まれてきたのか、その意味を見出すことができるのです。

 イエスはあなたを全人格的に救ってくださるお方です。あなたもこのお方を信じて下さい。