2019年2月19日(火)「欺きと誠実」3.偽証

 いかがお過ごしでしょうか。国立聖書教会の野島邦夫です。

 今回はシリーズで欺きという悪事、いえ、神に対する罪について考えています。今日は、言葉による欺きである偽証について考えます。

 十戒の第九戒「あなたは隣人について偽証してはならない」をすぐ思い起こされるでしょう。偽証は法廷でのウソの証言のことです。

 私たちはなぜウソをつくのでしょうか。改めて考えます。人を陥れるためにつくウソ。面白半分につくウソ。お金儲けのために、自分が何か得するためにつくウソ。恐れからつくウソ。時にはウソとホントが混じったウソがあり、これが一番困るものかもしれません。
 私たちは口を制することがいかに難しいか知っています。そして、口を開くと気づかずに、時には気づきながら、ウソが出てきます。

 振る舞いによる欺きである偽善に比べて、偽証は目に見えませんから一見目立ちません。しかし、イエス様はこう言われます。
 「偽証など、口から出てくるものは、心から出てくるので、人を汚す。」(マタイ15:19・私訳)

 つまり、偽証は悪い心の現れです。ここで、偽証をひろくウソと言い換えてもいいでしょう。ウソは悪い心の現れということです。
 おそらく、自分がどれほど多くのウソをつくかを考えて、それらのウソをどれだけ深刻なものと見なすかが自分の罪深さを考える最も解かりやすい方法でしょう。