2019年4月16日(火)苦しむ者と共におられる神

 いかがお過ごしでいらっしゃいますか。江古田教会の浅野正紀です。
 今週は、イエス・キリストが受けられた十字架の苦難を思い起こす受難週です。私たちにとってイエスの十字架がどんな意味を持っているのか、共に考えたいと思います。

 イエスは、何の罪も犯していないにもかかわらず、ローマ総督ピラトによって、当時、最もきびしい死刑方法である十字架刑を受けることとなりました。十字架にかけられたイエスの叫びがマルコによる福音書15章34節に記されています。「3時にイエスは大声で叫ばれた。『エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ。』これは、『わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか』という意味である。」

 この叫びは、イエスにとって十字架刑が神に見捨てられるような苦しみだったことをあらわしています。しかし、もう少し考えてみたいのですが、イエスは、神に見捨てられるような苦しみの中にありながらも「わが神、わが神」と呼びかけています。この呼びかけは、十字架の上でもイエスにとって神は「わが神」と呼びかけることができるほど身近な存在であったことをあらわしています。どんな時も神が必ず共におられると信じているからこそ素直に「なぜわたしをお見捨てになったのですか」と神に問いかけることができました。

 「神はいったいどこにおられるのか」と嘆くしかない苦しみの中にあっても、信仰者には、どんなことでも訴えることができる私の神がいつも共におられます。イエスの十字架は、このことを私たちに示して下さいました。