2019年4月17日(水)私たちの身代わりの死

 いかがお過ごしでいらっしゃいますか。江古田教会の浅野正紀です。
 今週は、イエス・キリストが受けられた十字架の苦難を思い起こす受難週です。私たちにとってイエスの十字架がどんな意味を持っているのか、共に考えたいと思います。

 イエスは、何も罪を犯していないにもかかわらず、ローマ総督ピラトによって、ローマ帝国において最もきびしい死刑方法である十字架刑を受けることとなりました。他の死に方ではなく、この最も苦しい十字架刑でイエスが死ぬことに実は大きな意味がありました。ガラテヤの信徒への手紙3章13節には、こう記されています。「キリストは、わたしたちのために呪いとなって、わたしたちを律法の呪いから贖い出してくださいました。『木にかけられた者は皆呪われている』と書いてあるからです。」

 ここで言われている「呪い」とは、神によって罪が裁かれることです。「律法」とは、神を愛し、人を愛することです。私たちは日々、神と人を愛せないどころか、神をないがしろにし、人を憎む罪を犯しながら生きています。私たちは、この罪のゆえに神に裁かれなければなりません。

 ところが、イエスが私たちに代わって十字架にかけられ神の裁きを受けることで、私たちを神の裁きから救い出して下さいました。こうして、私たちの罪がゆるされました。イエスの十字架は、神と人を愛することができない私たちに本当の愛を示しています。イエスの十字架刑による死には、これだけの大きな意味があります。