2008年7月17日(木)垣間見える教会の様子(コロサイ4:7-18)

ご機嫌いかがですか。キリスト改革派教会提供あすへの窓。「聖書を開こう」の時間です。今週もご一緒に聖書のみことばを味わいましょう。木曜日のこの時間は、キリスト改革派教会牧師の山下正雄が担当いたします。どうぞよろしくお願いします。

あすへの窓のこの番組では、毎年リスナー向けのキャンプを開催しています。そして、キャンプに参加した人たちの書いた文集を内輪向けに毎年配布しています。キャンプに参加した人にとっては、文章と共に懐かしい人の顔や思い出の情景がすぐに浮かんできます。
しかし、その場に居合わせなかった人にとっては、出てくる人の名前をみても、これと言った感慨深さも感じることはないでしょう。ただ、それでもその場の雰囲気や楽しかったであろうキャンプの様子は掴み取ることができると思います。
今、これから取り上げようとしている聖書の箇所には、ほとんど知られていない人たちの名前が列挙されています。この人たち一人一人を個人的に知っていれば、きっとこれを読む楽しみも全然違ってきただろうと思うのです。しかし、それでもこれらの人たちの名前を通して、その当時のキリスト教会の様子を少しでも味わうことができたらと思います。

それでは早速今日の聖書の個所をお読みしましょう。きょうの聖書の個所は新約聖書コロサイの信徒への手紙 4章7節〜18節までです。新共同訳聖書でお読みいたします。

わたしの様子については、ティキコがすべてを話すことでしょう。彼は主に結ばれた、愛する兄弟、忠実に仕える者、仲間の僕です。彼をそちらに送るのは、あなたがたがわたしたちの様子を知り、彼によって心が励まされるためなのです。また、あなたがたの一人、忠実な愛する兄弟オネシモを一緒に行かせます。彼らは、こちらの事情をすべて知らせるでしょう。わたしと一緒に捕らわれの身となっているアリスタルコが、そしてバルナバのいとこマルコが、あなたがたによろしくと言っています。このマルコについては、もしそちらに行ったら迎えるようにとの指示を、あなたがたは受けているはずです。ユストと呼ばれるイエスも、よろしくと言っています。割礼を受けた者では、この三人だけが神の国のために共に働く者であり、わたしにとって慰めとなった人々です。あなたがたの一人、キリスト・イエスの僕エパフラスが、あなたがたによろしくと言っています。彼は、あなたがたが完全な者となり、神の御心をすべて確信しているようにと、いつもあなたがたのために熱心に祈っています。わたしは証言しますが、彼はあなたがたのため、またラオディキアとヒエラポリスの人々のために、非常に労苦しています。愛する医者ルカとデマスも、あなたがたによろしくと言っています。ラオディキアの兄弟たち、および、ニンファと彼女の家にある教会の人々によろしく伝えてください。この手紙があなたがたのところで読まれたら、ラオディキアの教会でも読まれるように、取り計らってください。また、ラオディキアから回って来る手紙を、あなたがたも読んでください。アルキポに、「主に結ばれた者としてゆだねられた務めに意を用い、それをよく果たすように」と伝えてください。わたしパウロが、自分の手で挨拶を記します。わたしが捕らわれの身であることを、心に留めてください。恵みがあなたがたと共にあるように。

きょうで、コロサイの信徒への手紙の学びは最後になります。パウロはこの手紙を締めくくるに当って、様々な人たちの名前を挙げています。全部で十名の名前が挙がっていますが、その内の八人は手紙の差出人であるパウロの側にいる人たちです。そして、残りの二名は差出人のところに人たちです。また、十人のうちの一人は女性で、一人は奴隷です。これらの人々を通して、できる限り当時の様子を想像してみたいと思います。

先ず最初に名前が挙げられているのはティキコです。彼は「主に結ばれた愛する兄弟、忠実に仕える者、仲間の僕」として紹介されています。おそらくはこの手紙を託されてコロサイの教会に持参したのはこのティキコ本人です。手紙の中にもパウロの様子が記されていますが、彼は直々にパウロの様子をコロサイの人たちに伝える務めも託されて来ました。この人の名前はここのほかに、エフェソの信徒への手紙の末尾にも同じような役割を与えられた者として紹介されています。後で出てくる「ラオディキアから回って来る手紙」というのは、もしかしたらエフェソの信徒への手紙のことであるかもしれません。この二つの手紙は同時にパウロからティキコに託されたものと思われます。
因みに使徒言行録20章4節によればアジア州出身でエルサレムに向かうパウロに同行した人々の一人でした。

次に名前が挙げられているのはオネシモです。オネシモの名前はフィレモンへの手紙の中に詳しく記されているように、フィレモンのもとから逃亡してきた奴隷です。このオネシモもティキコと一緒に手紙を携えてコロサイの教会を訪ねる一人でした。おそらく、そのときフィレモンへの手紙も一緒に携えてきたのではないかと考えられています。

さて、実際に手紙を携えていくティキコとオネシモの名前を挙げた後で、パウロと共にいる六名の人たちからの挨拶を記します。そのうちの三名、つまりアリスタルコ、マルコ、ユストはユダヤ人で、残りの三名、つまり、エパフラスとルカとデマスは異邦人でした。

ユダヤ人の同労者のうち、アリスタルコとマルコについては使徒言行録の中にも名前が記されているので、その働きについては知られているのですが、ユストと呼ばれるイエスについては、ここにしか名前の出てこない人なので、わたしたちにとってはまったくの無名に近い人です。しかし、それでもパウロはこの三人を同列において「この三人だけが神の国のために共に働く者であり、わたしにとって慰めとなった人々です」と紹介しています。教会にはこのユストのように無名でありながら、しかし、神の国のために共に働く立派な人たちが大勢いるのです。

次に異邦人で挨拶を述べる最初の人として挙げられているのはエパフラスです。この人については手紙の最初の方にも出てきたように(1:7)、コロサイの地に最初に福音を宣べ伝えて教会を建て上げた人物です。

次いで異邦人で名前が挙げられているルカはこことフィレモンへの手紙の末尾に名前が出てきますが、ここでは特に医者のルカと呼ばれています。伝説ではこのルカがルカ福音書と使徒言行録を書いたとされています。因みに、テモテへの手紙二の4章11節では「ルカだけがわたしのところにいます」と記されています。
それに対して、デマスは同じテモテへの手紙二の4章10節で「デマスはこの世を愛し、わたしを見捨ててテサロニケに行って(しまった)」と記されています。

もちろん、これだけの短い文からいったいどんなことが起ったのかはほとんどわからないのですが、教会でのに人間関係がいつも変わりないものではないことが伺えます。

最後にパウロがコロサイの教会の人たちを通して挨拶を送ろうとしている二人の人たちを見て終わりにしたいと思います。
その一人はニンファで、彼女は家を開放して教会の集まりに協力していた人です、もう一人はアルキポでフィレモンの手紙では受取人の一人として「戦友アルキポ」と呼ばれています。これらの人物についてはほとんど知られていませんが、しかし、これらの人たちの奉仕を通してラオデキアとコロサイの地方に福音が広まり、キリスト教の集会が保たれたのです。