2018年2月18日(日) 共に生きる(3)結婚

 おはようございます。広島教会の牧師、申です。今日も共に生きるシリーズとして、「結婚」について考えたいと思います。
リスナーのあなたは、すでに結婚されている方でしょうか。あるいは、まだ結婚しておられない、もしくは結婚のことを考えておられない方かもしれません。そのような方には残念なことですが、話を聞いて少し違う思いも出てくるかもしれませんので、最後まで聞いていただければ幸いです。

 わたしは結婚22年目を迎えました。この21年間の結婚生活を考えると、正直、「良くここまで来たな。」という感想です。妻とは恋愛結婚でしたが、どっちかというとわたしの一目惚れでありました。「こんな素晴らしい女性がいるのか。」と思い、他の人に取られたくないので勇気を出してプロポーズをしました。

 しかし、実際一緒に住んでみると「こんなにわたしと違うのか。」ということを住めば住むほど良く分かって来ました。わたしは比較的に落ち着いて繊細な面があり、慎重な性格ですが、妻は大雑把で、仕事は手際よくてきぱきとし、慌て者であります。だから、わたしは女性的で妻は男性的だと言ってもいいでしょう。勿論、育った環境や仕事柄というのもあって、すべての面においてそうではなく、ある面に対しては正反対のこともあります。
 でもはっきり言えるのは、性格が違う。しかも正反対と言っても良いでしょう。そのような人が結婚して一緒に生活をしているから合わないことも多く、喧嘩をすることもあります。

 まだ結婚して間もない時に、先輩から頂いた一冊の本がありました。その本の題は、日本語で訳せば「火星から来た男、金星から来た女」という本でした。その本が言うことは明らかです。結婚というのは、全く環境の違う所で生まれ育った男と女が一緒になることだということです。だから、お互いの性格のみならず、様々な考え方、生活習慣が違うはずで、そのような人が一緒になって暮らすのが結婚だということです。

 よく有名人が離婚の記者会見をする時に「性格が合わなかった。」と言っているけれども、性格が合わないのはある意味で当たり前のことなのです。性格が合わない男女がお互いの考え方を相手に押し付けずに、理解し合って一つのものを作り出すのが結婚だと思います。
 
 聖書によりますと、神様が男は土をもって造られますが、女は男のあばら骨を用いて造られます。それだけ、材質も違いますし、その大きさも違いますが、何よりも、男と女が一体となって、やっと最初の創造の時の人となるということです。だから、聖書の考えは基本的に男と女が結婚をして家庭を築くことです。
 
 結婚をしたとしてもわたしの本来の性格は変わりませんが、妻の考えを受け入れて自分の足りない点を補うことが多くなったような気がします。逆に、妻もわたしの影響を受けて、本来の性格ではやらないことを一緒にチャレンジすることも増えてきました。だから良く夫婦は似ていると言うかもしれません。

 聖書には「妻たちよ、主を信じるものにふさわしく、夫に仕えなさい。」(コロサイ3:18)と言っていますし、「夫たちよ、妻を愛しなさい。つらく当たってはならない。」(同3:19)と言っています。当時聖書が書かれた時代的な背景がありますので、そう言っているんですけれども、その反対として考えることも出来ると思います。
 今もわたしが自分の生活の中で、一番言葉と生活の面で気をつけている人が妻だと思います。勿論、一番気楽な人も妻であります。つまり、その両面性があると思います。これは間違いなく妻も同じ思いでしょう。

 「そんな不便な生活はなぜするのか」と言うかもしれません。しかし、わたしがなぜあの人に惚れたのかと思うと、その人にはわたしが持ってない魅力があったからです。そしてその二人の人がお互いに持ってない魅力が合わさった時に最も神様が創造された時の人間の魅力があふれ出るのではないでしょうか。
 あなたの輝きをもっと輝かせることが出来る、それが結婚だと思います。あなたの妻、あなたの夫の故に、あなたは今輝いています。