2018年12月9日(日) 正しい人ヨセフ

 おはようございます。松山教会の久保浩文です。
 神の子イエス・キリストの降誕を覚え、記念するクリスマスがやってきました。イエス・キリストの誕生というと、イエスの母となったマリアの処女降誕に話が集中します。

 マタイによる福音書では、イエス・キリストの誕生に不可欠な人物として、ヨセフが登場します。「母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった。夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した。」(18-19節)

 ユダヤの婚約は結婚と同様の法的拘束力があり、婚約中の二人は夫または妻と呼ばれました。律法は結婚の状態とほぼ等しい権利を婚約者に認め、同じ義務を課しました。約1年間の婚約期間を経て一緒に生活するようになるのです。

 しかし、二人が一緒になる前に、マリアが身ごもっていることが分かったのです。律法によると、婚約中の女性が身重になった場合は神の民の中から、罪と汚れを取り去るために、必ず死刑に処せられることになっていました。(申命記22:22〜24参照)

 「夫ヨセフは正しい人」でした。ですから、マリアの妊娠を知ったヨセフの心の中は、穏やかではなく、いたたまれない怒りとも悲しみともつかない気持ちになったに違いありません。彼はマリアへの愛と律法の定めとの板挟みとなって、眠れない夜を何日も過ごしたことでしょう。そして葛藤の末に彼の出した結論は、マリアを去らせ、離縁することでした。

 しかし、秘かに離縁されたマリアは、その後どうなるでしょう。たとえ人知れず遠い場所で出産し、かろうじて石打ちの刑を免れたとしても、当時の社会状況の中では、彼女は一生、罪人として生き、生まれてきた子供も様々な偏見と差別の中に置かれたことでしょう。ヨセフの「正しさ」はここで行き詰まります。

 人間の知恵では解決できない限界の状況の中で、神の力が介入しました。主の天使がヨセフの夢の中に現れたのです。「ダビデの子ヨセフ、恐れず、妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。」(20節)
 ヨセフは眠りから覚めました。恐れと迷いから立ち上がり、主より示された道を彼は選び取りました。

 「正しい人」ヨセフは自分の力で「正しく」あろうとする生き方から、主への信頼と御言葉への服従によって与えられる新しい生き方へと解放されました。ヨセフは、マリアの特別な選び、彼女に対する神のご計画、また生まれてくる子を通しての神の救いのご計画の全てのことを受け入れようと決断したのです。ヨセフは新たな信仰と決心とをもって、マリアを受け入れ、神の約束を実現する担い手となったのです。

 「マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。」(20節)
 救い主、神の子を宿す役目として選ばれ、用いられる。このことはヨセフ、マリアの夫妻にとっては、大きな出来事です。これからいかなる運命、生涯が二人の上に待ち受けていようとも、「全てを主に信頼して生きる」という信仰と決断は祝福と恵みをもたらすのです。