2018年1月5日(金) 創世記4-5章 人類の試練と希望


再び、アダムは妻を知った。彼女は男の子を産み、セトと名付けた。カインがアベルを殺したので、神が彼に代わる子を授け(シャト)られたからである。
セトにも男の子が生まれた。彼はその子をエノシュと名付けた。主の御名を呼び始めたのは、この時代のことである。(創世記4:25-26)

 兄カインが弟アベルを殺すという人類最初の殺人は、親であるアダムとエバの深い悲しみとなり、人間が味わう大きな試練となりました。アベルは失われ、カインも「さすらう者」となって失われました。広がっていくはずの祝福の歴史が、この事件から失われたのです。これはもうどうすることもできません。神が、憐れんでくださらなければ…。

 そのようにして打ちひしがれているアダムとエバを主は憐れみ、新たな子を与え、新しい歴史を始めさせてくださいました。セトという名からは、「神がこの愚かな私たちに授けてくださった…」という、深い感謝と、悔い改めの響きが聞こえてきます。そして、そのセトの子であるエノシュの時代に、人々は「主の御名を呼び始めた」と伝えられています。

 人間が文化の発展とともに傲慢になり、いよいよ己の力を過信していくカインの系譜の歴史が描かれる一方で、このような、神へと思いを向けた人たちの歴史が始まったことをも聖書は伝えます。ここに、世界の希望があるのです。