2018年1月25日(木) イザヤ4章 エルサレムの残された者


その日には、イスラエルの生き残った者にとって主の若枝は麗しさとなり、栄光となる。この地の結んだ実は誇りとなり、輝きとなる。そしてシオンの残りの者、エルサレムの残された者は、聖なる者と呼ばれる。(イザヤ4:2-3)

 1節は3章26節の続きで、シオンの娘たちへの裁きが語られています。その日、裁きの日には、豪華な生活をする女たちが頼りにする男たちが戦いに倒れ、数少ない男性に群がる終末的混乱があるというのです。

 2節以下でエルサレムの将来の栄光が語られます。「若枝」はヘブライ語で「生える」という動詞から派生した名詞で、植物の新芽を意味します。絶望的な主の裁きの後、地から主の新芽が生え出で、裁きを逃れた者たちを祝福するものになるというのです。それは滅ぼすための裁きではありません。神がご自分の民を聖別し、新しい未来を産み出すための裁きです。ですから、残された者は「聖なる者と呼ばれる」のです。

 裁きによって残された者は、立派な者、非の打ちどころのない者ではありません。神は、裁きの霊と焼き尽くす霊をもってシオンの娘たちの汚れを洗い、すすぎ清めると語られています(4節)。本来滅ぼされるべき者が、裁きの日に残されて聖とされるのです。ここに神の恵みと救いがあり、十字架の福音があります。