2018年10月18日(木) ルカ20章 わたしの愛する息子を送る


「農夫たちは息子を見て、互いに論じ合った。『これは跡取りだ。殺してしまおう。そうすれば、相続財産は我々のものになる。』そして、息子をぶどう園の外にほうり出して、殺してしまった。さて、ぶどう園の主人は農夫たちをどうするだろうか。」(ルカ20:14-15)

 ヘブライ人への手紙1章1、2節に次のようにあります。「神は、かつて預言者たちによって、多くのかたちで、また多くのしかたで先祖に語られたが、この終わりの時代には、御子によってわたしたちに語られました」。

 ルカによる福音書20章にある「ぶどう園と農夫のたとえ」は、まさに冒頭の聖句をたとえたものと言ってよいでしょう。神は多くの預言者を遣わされ、人びとに悔い改めを求めました。けれども、それは「袋だたきにし、侮辱して」(11節)の繰り返しでした。にもかかわらず、主人の思いは変わることなく、「わたしの愛する息子」(13節)を送るほどに農夫たちを愛し抜かれました。しかし、「わたしの愛する息子」は殺されてしまいました。

 それは、まさに十字架にかけられた御子イエス・キリストです。「そんなことがあってはなりません」(16節)と言われることが起こるほど、人の罪は深いものなのです。その解決は、「わたしの愛する息子」イエス・キリストの十字架にしかありません。その十字架によって私たちの罪が赦されました。ここに愛があります。