2023年10月10日(火) イザヤ35章 その時は来たそしてその途上に


そのとき、見えない人の目が開き
聞こえない人の耳が開く。
そのとき
歩けなかった人が鹿のように躍り上がる。
口の利けなかった人が喜び歌う。(イザヤ35:5-6)

 「そのとき」とは、キリストが来られた「今」です。キリストを信じる人びとは、それを知ります。洗礼者ヨハネは、主イエスに「ほかの方を待たなければなりませんか」と尋ねました。それへの答えは「目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、…耳の聞こえない人は聞こえ、…貧しい人は福音を告げ知らされている」でした(ルカ7章20〜22節)。イザヤが預言した「そのとき」はそこに来ていました。

 しかし、すべてが成就しているわけではありません。完全な成就は、望みの中にあります。また見えない事実を見るようにして進まなければなりません。「荒れ野よ、荒れ地よ、喜び躍れ、…人々は主の栄光と我らの神の輝きを見る」(イザ35章1、2節)。今は、神の言葉に導かれながら見えないものにこそ目を注ぐべき時です。いろいろなことに試されながらも、聖霊の恵みに謙虚に信頼して、そのように主を仰ぎます。「弱った手に力を込め、よろめく膝を強くせよ。…『神は来て、あなたたちを救われる』」(3、4節)。

 なおも途上ですから、信仰の歩みには忍耐が求められます。しかし、主は慰めを満たし続けてくださいます。「喜びと楽しみが彼らを迎え、嘆きと悲しみは逃げ去る」(10節)。

 【祈り】 主イエスよ、あなたと共に生きるこのときを感謝します。